初心を忘れた藤井靖志弁護士への反論「主張書面(2)」

親子の面会交流阻止を事業にしている悪徳弁護士法人・ベリーベスト弁護士法人について、第一東京弁護士会に懲戒請求をした件です。先日、ベリーベスト弁護士法人から提出された「答弁書」に対して、下記の「主張書面(2)」で反論をしました。なお、弁護士法人VERYBESTについても、同じ内容で第二東京弁護士会へ反論を提出しました。

「ベリーベスト」と「VERYBEST」

ベリーベストの藤井靖志弁護士

ベリーベスト弁護士法人(第一東京弁護士会)と弁護士法人VERYBEST(第二東京弁護士会)の懲戒請求の両方の代理人を、ベリーベスト法律事務所(第一東京弁護士会と第二東京弁護士会の両方に所属)の藤井靖志弁護士(第一東京弁護士会・写真右)が務めています。

このように、「ベリーベスト」の法人・事務所と各弁護士会の関係性が、訳がわからないことになっていますが、これはベリーベストが東京弁護士会から受けた懲戒処分から逃れるために、別の弁護士会に法人を分割して設立して所属弁護士を逃がしたり、一方で、実体としては同じ事務所を運営していたり、といった複雑な状態にあることが原因です。

ただベリーベストばかりを責めるわけにもいきません。そもそも、懲戒権という自治機能は、独占組織が運営しなければ機能しないのは自明なのに、派閥争いという弁護士の都合で、東京に3つも弁護士会を作ってしまったことがおかしい、とも言えるからです。最近では東京の新人弁護士が、懲戒されにくい弁護士会を探して加入するといった「規制裁定」をする様子も見受けられます。

藤井靖志弁護士は、萩原達也弁護士と共にベリーベスト弁護士法人の代表社員を務めています。「代表社員」は、弁護士法人を完全に所有し、かつ経営もする立場にあります。そのため、株式会社でいえばオーナー経営者のような、権限と独立性を持っています(ただし無限責任を負います)。

しかし現実には、藤井靖志弁護士の存在感は乏しく、ベリーベスト創業者の酒井将弁護士や浅野健太郎弁護士の意のままに動かされているように見えます。これは不思議なことです。ベリーベスト創業者は、もはやベリーベストの弁護士法人の組織の大半とは無関係なので、藤井靖志弁護士を動かす法的根拠を持っていないからです。一体どのようなスキームで藤井靖志弁護士を縛り、傀儡化しているのかは、大変興味深いところです。

「多くの弁護士は原点を見失いがちである」と弁護士批判する藤井靖志弁護士

実は、ベリーベストの懲戒請求の代理人である藤井靖志氏は、ベリーベストに入る前は、法テラスの常勤弁護士として”僻地司法”に取り組んでいました。「元々弁護士は、困った人を助けるために存在するはずであるが、多くの弁護士はその原点を見失いがちである」。素晴らしい言葉ですね。これは、藤井靖志氏自身が書いた文章です。13年前、藤井氏が鹿児島県の大隅半島に赴任していた頃に、ある媒体に掲載されました。当時30歳そこそこなのに「多くの弁護士」に対して「原点を見失っている」などと大上段に批判できるとは、藤井靖志氏はなかなか気骨のある男です。

しかしそんな藤井靖志氏も、今ではベリーベストの一員となり、子供を泣かせるベリーベストの親子面会交流阻止事業を正当化する書面を作って、給料をもらっています。この13年間で藤井氏の心境にどのような変化があったのでしょうか。そしてもし13年前の藤井氏が、今の藤井氏の、親子の引き離しの先棒を担いでいる姿を見たら、何と言うでしょうか。

その藤井靖志氏が作成した、親子引き離しを正当化するための主張があまりに的外れであったことについては、下の主張書面を読んでいただくとして、第一東京弁護士会の懲戒請求への事務的な対応の問題も指摘しておきたいと思います。第一東京弁護士会は、懲戒請求に関して以下のような取り扱いをしています。

  • 懲戒請求の対象弁護士法人(ベリーベスト弁護士法人)が提出した書証を懲戒請求者(当方)には開示しない
  • 綱紀委員会の委員長の名前を公表しない
  • 対応する綱紀委員会事務局の人間はフルネームを名乗らない

いずれも、懲戒という重要な弁護士の自治機能を預かる組織として、無責任な対応だと思います。


2021年一綱第21号綱紀事件
対象弁護法人 ベリーベスト弁護士法人

第一東京弁護士会
寺前 隆 会長
綱紀委員会委員長(氏名非開示)殿
綱紀委員会事務局 和田殿

2021年3月19日

主張書面(2)

令和3年3月1日付け対象弁護士法人「答弁書」に以下の通り反論する。親子の面会交流の阻止を業務とし、成功報酬を得ているベリーベスト弁護士法人の行為は、弁護士の信用を害し、その品位を失うべき非行である。

第1 最高裁昭和59年7月6日決定に関する藤井靖志氏の理解の誤り

1 合憲・意見判断を回避した判決の憲法判断を根拠として引用
 ベリーベスト弁護士法人の代理人を務めている藤井靖志氏(ベリーベスト法律事務所)は、「最高裁判例及び判例実務の趨勢は、面会交流を実体的権利ないし実体的請求権として認めておらず」と主張し、その根拠として、最高裁昭和59年7月6日決定(判タ539号325頁(乙1)、家月37巻5号35頁)及び最高裁平成12年5月1日決定(別冊ジュリスト239号42頁(乙2)、民集54巻5号1607頁、家月52巻12号31頁、判時1715号17頁、判タ1035号103頁)という2つの最高裁判例を挙げている。しかし、これらの最高裁判例は、いずれも面会交流が実体的権利であることを否定したものではない。
まず最高裁昭和59年7月6日決定は「協議離婚をしたさいに親権者とされなかった親に子との面接交渉を認めるかどうかは、子の監護に関する処分について定める民法七六六条一項または二項の解釈適用の問題であって、憲法一三条に違背するかどうかの問題にあたらない。」と判示したものである。この判示は、当該訴訟の抗告人の「親権者でない親がその子と面接する権利は、親子という身分関係から当然に認められる自然権であり、個人の尊厳を尊重する憲法一三条の幸福追求権に含まれている」(乙1号証)との主張に対するものであった。
藤井靖志氏は、この、単に合憲・違憲の判断を回避したに過ぎない最高裁判決を示して「面会交流が実体的権利ないし実体的請求権として認めておらず」(令和3年3月1日付け対象弁護士法人「答弁書」2頁9~11行目)などと主張している。
2 先例拘束性の不存在
しかし、最高裁判所の憲法判決のうち、先例拘束性を持つのは、合憲・違憲の結論に至るうえで直接必要とされる憲法規範的理由付けの部分だけである。これは、「日本国憲法論 第2版」(佐藤幸治)において、「(最高裁判所の憲法判例が)先例として拘束力をもつのは、憲法判決中のいわゆるレシオ・デシデンダイ(ratio decidendi)の部分であって、法律などの合憲・違憲の結論それ自体ではなく、その結論に至るうえで直接必要とされる憲法規範的理由付け(判決を導く決定的理由付け)である点が留意されるべきである。」(甲8号証)とされていることからも明らかである。したがって、合憲・違憲見の判断自体を行わず、憲法規範的理由付けが存在しない最高裁昭和59年7月6日決定は、面会交流の権利性に関しては何も言っていないのと同じである。そのため、この決定は面会交流が実体的権利として認められていないことの根拠とはならない。
最高裁昭和59年7月6日決定が面会交流の権利性を論じるうえで意味を持たない決定であることは、藤井靖志氏自身が提出した書証(乙1号証)の解説において「本決定が右の点(面接交渉権が親の自然権ないしは固有権であるとする見解に従うならば、理由なく子との面接交渉を認めない場合には、違憲の問題が生じる余地もあるのではないか)についてどのように解しているかを判文から直接窺い知ることはできない。」(乙1号証326頁2段目4~6行)と書かれていることからも明らかである。
したがって、合憲・違憲の判断を回避した最高裁判決を引用し、「面会交流権が実体的権利ではない」と主張する藤井靖志氏は、弁護士としてはあまりに初歩的な誤りを犯しているものと言える。今後は、法的根拠に基づくしっかりした主張をしていただくよう、お願いしたい。

第2 最高裁平成12年5月1日決定に関する藤井靖志氏の虚偽主張

1 書証に存在しない内容を主張
 次に最高裁平成12年5月1日決定について言えば、藤井靖志氏は、乙2号証(別冊ジュリスト239号(民法判例百選)42、43頁「父母別居中の面会交流権」関西学院大学教授山口亮子)を証拠として挙げて、「同決定は、面会交流権について、面会交流を求める請求権ではなく、子の監護のために適正な措置を求める権利であることを示したものと解されている」(令和3年3月1日付け対象弁護士法人「答弁書」2頁下から3行目~最下行)と述べ、乙2号証を根拠として、あたかも一般的に「面会交流権は面会交流を求める請求権でない」との解釈がされているかのような主張をしている。
しかし、藤井靖志氏が提示した乙2号証には、「面会交流権が面会交流を求める請求権ではない」との解釈が示されている部分は存在しない。したがって、藤井靖志氏のこの主張は虚偽主張である。もし、藤井靖志氏が「最高裁平成12年5月1日決定は、面会交流権について、面会交流を求める請求権ではないことを示したものであると解釈されている」との主張を続けるつもりであれば、乙2号証のどの部分を根拠として主張をしているのか、明確に示したうえで主張を行うように求める。
2 藤井靖志氏が虚偽主張を行った理由
なお藤井靖志氏がこのような虚偽主張を行ったのは、乙2号証のうち「本決定でも面会交流の権利性は具体的には示されなかったが、ここでは,面会交流権とは,面会交流を求める請求権というよりも,子の監護のために適正な措置を求める権利であることが示されたとの解釈がある」(乙2 43頁左21~25行目)と書かれている部分を、藤井靖志氏が「面会交流権が面会交流を求める請求権ではないと一般的に解釈されている」と読み間違えたからである可能性もゼロではない。
しかし「解釈がある」という表現から明らかな通り、この部分は一般的な解釈を示したものではなく、単に一つの解釈の例として挙げられているにすぎない。
その点を措くとしても、乙2号証において「面会交流を求める請求権というよりも,子の監護のために適正な措置を求める権利であることが示されたとの解釈がある」と書かれている部分は、「面会交流権が面会交流を求める請求権ではないことが示されたとの解釈がある」という意味を含むものではない。たとえば、「AというよりもB」という日本語の表現は、AとBが両立する内容である場合は、単にBという性質がより強いという意味にすぎないのであって、Aという性質を持たないという意味ではない。面会交流に関して言えば、「面会交流権は面会交流を求める請求権である」ということと、「面会交流権は子の監護のために適正な措置を求める権利である」ということは十分両立し得る内容である。したがって、「面会交流権とは,面会交流を求める請求権というよりも,子の監護のために適正な措置を求める権利である」との記述が、面会交流権が面会交流を求める請求権ではないということを意味するものではないことは明らかである。
以上の通り、仮に藤井靖志氏が、乙2号証のうち「本決定でも面会交流の権利性は具体的には示されなかったが、ここでは,面会交流権とは,面会交流を求める請求権というよりも,子の監護のために適正な措置を求める権利であることが示されたとの解釈がある」(乙2 43頁左21~25行目)と書かれている部分を読み間違えて、「面会交流権が面会交流を求める請求権ではない」と一般的に解釈されている」と主張しようとしたものであるとしても、その主張は藤井靖志氏の単なる読み違いによるものであり、失当である。
3 最高裁判決は面会交流権を是認
藤井靖志氏自身が提出した書証(乙2)において、最高裁平成12年5月1日決定は「面会交流権があることを前提に、これまでの実務の処理方法を是認したものとみられている(久貴忠彦・民商124巻4=5号713頁,石田敏明・家族法判例百選〈第4版〉113頁)。」(乙2 43頁左14~18行目)とされている。したがって、藤井靖志氏の主張とは全く逆に、最高裁平成12年5月1日決定は、面会交流権の権利性を肯定している内容であると一般的に解釈されている。このことからも、面会交流権が実体的権利であることは明らかである。

第3 藤井靖志氏による、本申立とは無関係な主張

1 民法766条に関する主張
藤井靖志氏は、民法766条について、「民法766条を理由として、弁護士が必ず面会交流の実現に向けて努力しなければならないということにはならない」と主張している。この主張はその通りであり、懲戒請求者はこの点に関して藤井靖志氏の主張に同意する。
しかし、そもそも懲戒請求者は「弁護士が必ず面会交流の実現に向けて努力しなければならない」などと主張はしていないのであって、この藤井靖志氏の主張は意味のない主張である。藤井靖志氏が何の目的で「民法766条を理由として、弁護士が必ず面会交流の実現に向けて努力しなければならないということにはならない」という主張を突然始めたのかは、不可解であるというほかない。藤井靖志氏は、反論ができないため、「弁護士が必ず面会交流の実現に向けて努力しなければならない」という当たり前のことを言うことによって、あたかも正しいことを言っているかのような文書上の体裁を整えようとしたのかもしれない。しかし、これは意味のない主張なので、今後は懲戒請求者の書面をよく読んだ上で反論をするように求める。
2 「裁判所では相手にされない梶村太市の主張」の引用
(1)「原則実施論」への反論
また藤井靖志氏は、乙3号証(梶村太市「裁判例からみた面会交流調停・審判の実務」2~7頁)を根拠に「原則的実施論は、「子の利益」に適うか否かの判定が困難な事案において、家庭裁判所が調査官等を通じ、心理学や精神医学等の知見を借りながら具体的事情を比較考量して検討し、判定するという努力を放棄する危険な判断手法と考えられており、家庭裁判所の実務は一貫して、子の利益の観点から被監護親と監護親双方の事情を総合的に比較衡量して、いずれが子の利益に適うかを審理判断している」と主張している。
しかし、懲戒請求者は面会交流の「原則実施論」なるものを主張していないので、これもまた懲戒請求者に対する反論としては意味のない主張である。藤井靖志氏が誰に対して何の目的で「原則実施論は危険である」という主張を突然始めたのかは、やはり不可解であるというほかない。
藤井靖志氏には、今後は徒に審理を混乱させるような主張をやめ、懲戒請求者の書面をよく読んだ上で適切な反論をするように求める。
(2)梶村太市への「偏った視点」「非人道的」「変わった人」という評価
 なお、この梶村太市という人物は、誤った法律の解釈により、親子の引き離しと児童虐待に長年加担してきた人物である。このような梶村太市の偏った主張は、裁判所実務においても、もはや相手にはされていないのが現状である。その証拠に、インターネットサイトの「弁護士ドットコム」において「裁判所では梶村先生の意見は全く相手にされないのでしょうか?」という問いに対して、岡田晃朝弁護士(兵庫県弁護士会)が「そうでしょうね」と即答している(甲9号証)。
また、書籍レビューが掲載されているインターネットサイト「アマゾン」における梶村太市の乙3号証の書籍(第2版)評価は、星5つ中の星1つという極めて低い評価である(甲10号証)。梶村太市はアマゾンのレビューにおいて、以下のように酷評されている。

「個人的見解の誤った視点が、そのまま書かれている」(甲10号証3頁)
「元裁判官による非人道的見解の意見が挟まれた書籍」(甲10号証3頁)
「子どもの権利条約を無視した特異な思想を持つ元裁判官」(甲10号証3頁)
「まるで父親が子の監護に関心を持つことが,諸悪の根源のようにも聞こえる」(甲11号証3頁)
「偏りがありすぎて本としていかがなものかと思いました。」(甲11号証4頁)
「著者が勝手に命名した「抗弁説」とか「明白基準説」など読んでいて変わった人だと感じました。」(甲11号証4頁)

梶村太市は元裁判官ではあるが、その主張は、子供の権利を公然と侵害している点において、本当にそのような考えに基づいて判断を下していたのであれば、日本の家庭裁判所実務の恥部であり、汚点でもある。このような偏った主張を引用して主張を行わなければならないこと自体が、藤井靖志氏の主張の誤りを示している。
(3)「実務の現状」は実務を正当化する根拠にならない
そもそも本申立ては、ベリーベスト弁護士法人が面会交流の阻止により弁護士報酬を受け取るという、非人道的で違法な実務を現在行っていることが問題となっているのだから、藤井靖志氏がいくら実務の現状を説明したとしても、それは違法な実務を正当化する理由とはならない。藤井靖志氏の主張は結局のところ、「家庭裁判所も悪いことをしているのだから、ベリーベスト弁護士法人もそれに倣って悪いことをしても構わないだろう」と主張したいようであるが、これはとても法を学んだ弁護士が書いた主張とは言えないお粗末な主張である。
しかも上述の通り、藤井靖志氏が裁判所の実務であると強弁しているものは、もはや裁判所では相手にされていない、梶村太市という非人道的な人物が書いた奇書に記されている、裁判実務とはかけ離れた内容にすぎない。
そしてさらに、その奇書に基づく藤井靖志氏の主張は、そもそも本申立に対する反論とはなっていないという点において、藤井靖志氏の主張は、2重、3重に不可解な主張である。

第4 面会交流権が実体的権利であること

 2021年2月24日付け懲戒請求者「主張書面(1)」において述べた通り、面会交流は親と子の双方にとって人格的利益であるとされている。
東京地裁平成31年(ワ)第7514号損害賠償請求事件の令和3年2月17日判決は次のように判示している。

「親である父又は母と子とは,三者の関係が良好でないなどといった状況にない限り,一般に,子にとっては,親からの養育を受け,親との間で密接な人的関係を構築しつつ,これを基礎として人格形成及び人格発達を図り,健全な成長を遂げていき,親にとっても,子を養育し,子の受容,変容による人格形成及び人格発展に自らの影響を与え,次代の人格を形成することを通じ,自己充足と自己実現を図り,自らの人格をも発展させるという関係にある。そうすると,親である父又は母による子の養育は,子にとってはもちろん,親にとっても,子に対する単なる養育義務の反射的な効果ではなく,独自の意義を有するものということができ,そのような意味で,子が親から養育を受け,又はこれをすることについてそれぞれ人格的な利益を有すということができる。しかし,これらの人格的な利益と親権との関係についてみると,これらの人格的な利益は,離婚に伴う親権者の指定によって親権を失い,子の監護及び教育をする権利等を失うことにより,当該人格的な利益が一定の範囲で制約され得ることになり,その範囲で親権の帰属及びその行使と関連するものの,親である父と母が離婚をし,その一方が親権者とされた場合であっても,他方の親(非親権者)と子の間も親子であることに変わりがなく,当該人格的な利益は,他方の親(非親権者)にとっても,子にとっても,当然に失われるものではなく,また,失われるべきものでもない。」(甲7号証 25頁)

このなかで「子が親から養育を受け,又はこれをすること」とされているものは、親子の別居後においては行う面会交流が含まれることは明らかである。したがって、この判示は、面会交流について親と子の双方が人格的利益を有することを示したものであり、面会交流権が親と子にとって人格権という実体的権利であることは明らかである。

第5 第一東京弁護士会の書面隠蔽について

 第一東京弁護士会は、依然としてベリーベスト弁護士法人が提出した書面のうち、書証(乙1~3号証)を全て隠し、これまでに懲戒請求者に対して開示していない。
第一東京弁護士会が懲戒・綱紀審査において、公正な判断をするためには、双方から主張が尽くされる必要がある。しかし、第一東京弁護士会が書面を隠蔽したままであり、ベリーベスト弁護士法人が何を根拠に主張しているのかがわからなければ、懲戒請求者は正確に再反論をすることができない。懲戒請求者が対象弁護士法人の主張内容を把握し、反論するうえでは、書証を見ることが必要なのであって、これらを隠すことは、第一東京弁護士会が公正な綱紀審査を行う意思がない証拠である。
 懲戒請求者は、ベリーベスト法律事務所が懲戒逃れのために第二東京弁護士会に所属する法人として設立した別法人(弁護士法人VERYBEST)にも同内容の懲戒請求を行っている。そして、第二東京弁護士会が書証を開示したことから、「ベリーベスト弁護士法人が第一東京弁護士会に提出した書証」が「弁護士法人VERYBESTが第二東京弁護士会に提出した書証」と同一であるとの推測と前提を基に、本書面において反論を行わざるを得なかった。
 したがって、懲戒請求者が反論の前提とした推測が正しいものかどうかを確認できるよう、早急に、第二東京弁護士会と同様に、第一東京弁護士会も書証の開示を行うよう求める。また、本懲戒請求に限らず、すべての懲戒請求について懲戒請求者に対して対象弁護士法人が提出した書証を隠す運用を改めて、すべての懲戒請求について、対象弁護士法人や対象弁護士が提出した書証を懲戒請求者に無条件で開示する運用とするよう求める。
 第一東京弁護士会が、どうしても対象弁護士法人が提出した書証を懲戒請求者に対しては隠したいということであれば、懲戒請求者がこれまでに提出した書証(甲1~7号証)を対象弁護士法人に交付したかどうか、そして交付した年月日がいつであるかを、明らかにするよう求める。

以上

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